明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(4)

美術の国、これは誰でも考える事で美術家は是非此処で修行をしなければならない、という事は建築物や郊外の景色が皆絵になる様な事とルーブル博物館には美術品が網羅されており、研究材料に事欠かないという事も重要な要素である。又フランス人が美術思想に富んでいる事も又この国を美術の国としている。

殊に装身具、貴金属、化粧品等は世界の市場で、もてはやされている。一夜有名なグランドオペラを鑑賞した。建物は周囲を見事な彫刻物で飾られて居りパリーの代表的な建築物である。切符を手に内部に入るとその建築美の素晴らしさは驚く他はない。回廊も階段も柱も皆大理石で大広間はシャンデリヤが皎々と昼間の様に緋色の絨毯を照らしており泥靴で歩くのは恥ずかしい。普通のサックコートでもボックスの三階位の所ならば気は引けない。幕間に廊下に出て特に設けられた一室に入れば正装の男女のオンパレードが此処を飾っており、これが流行の先端を行く物とさえ言われて居る。華のパリーとは此処の事を言うのではあるまいか。各々其の服装を誇らしげに往きつ戻りつして開幕のベルも恨めし気に休憩時間の短さを喞って(かこって)いる様である。

服装の専門家や美術家はこのパレードを、わざわざ観に来て参考にするのである。私も其の一人に数えられる。

一週間の滞在期間中此処へは三晩も来た。

この他歌劇場ではミラノ・スカラ座があり劇場としてはオデオン座、コメディー・フランセーズ座等がある。名所案内記を書く積もりはないが、ついでだから名高い所を二、三ヶ所記してパリーを去る事にする。

ナポレオン一世の遺骸を安置してあるのがアンバリッド、パリーのシンボルとも言うべきエッフェル塔はセーヌ河左岸、シャイヨー宮に相対して建っている。パリー万国大博覧会の時エッフェル技師が建設した世界最高の建造物、鉄塔である。高さ約千呎(約三百米)で欧州大戦当時パリー防衛の為頂上に数十門の高射砲陣地を作り敵機に備えたとの事だ。今は無線局がある。エレベーターで展望台迄昇る事が出来るが遂に昇らなかった。この他建物や記念碑等沢山有るが眼を郊外に向けて見よう。

ヴェルサイユ宮殿は郊外約十哩(約二十粁)の西南にありルイ十四世が五万フランという巨費を投じ、三万六千人の人夫と六千頭の馬を使役して工事を完成したバロック調の広壮な大建築で豪華絢爛な装飾が施され庭園も又贅を極めルイ十四世がパリーへ戻る迄、百余年間王宮として奢りを極めた所である。独仏戦争中此処がドイツ軍に一時占領され大本営として使用された。後苑に面した大広間即ち「鏡の間」でプロシヤ王ウイルヘルム一世がドイツ皇帝の即位式を挙げた事がある。それから幾世紀を経て一千九百十九年の欧州大戦後、講和条約では奇しくも連合国によりドイツは、この部屋で苛酷な条件の講和条約に署名させられたのである。

今は博物館として一般に開放されている。

 

 

※本ブログ記事には、現代社会においては不適切な表現や語句を含む場合があります。当時の時代背景を考慮し、文中の表現はそのままにしてあります事をご了承ください。

 


※本ブログの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。まとめサイト等への引用も厳禁致します。