明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十三章 (合)広進商会(4)

こんな事が永く続く物ではない。それに大正十四年の夏から三ケ月も私は大病で寝て終った。大磯君一人で相当頑張ったが深い穴は埋める事も出来ないし又挽回する事も出来ない様になって終った。五カ月間、玩具の改善に努力した甲斐も無く、事こゝにきて解散するの止む無きに至った事は誠に残念と言うより他はない。遂に大正十五年七月始め債権者会議を開いて財産目録、売掛代金一覧表他解散に必要な書類を提出し了解を求め精算事務は大島君がその任に当たり、我々両名は債権者各位の同情により万事白紙に還元し債権、債務一切を免除され、ここに五ケ年の夢は閉ざされて終ったのである。

 拝啓 時下炎暑の候益々御隆昌奉欣賀候

 扨て数年前玩具の改善発達を企図し児童教育資料に貢献致度広進商会を経営し爾来

 奮闘努力在罷りしも力足らずして茲に解散するの止むなきに至り申し候顧れば既往

 広進商会の発展は全く各位の深甚なる御同情と御後援に拠る賜にして常に感銘致し

 居り候然るに御鞭撻を遂行し得ず斯界より遠ざかるを甚だ遺憾と存申候

 向後吾々両人の方針尚未定なるも生活を基礎とし従いては社会に貢献し得る業務に

 従事致度焦慮在罷候幸に獲得したる経験を善用し意義ある方面に進み再び相見ゆる

 の際は何卒旧倍の御愛顧御引立を切望致居候先は右御挨拶如斯に御座候

    大正十五年七月三十一日

                     名古屋市東区長塀町四丁目七番地

                               大 磯 文 一

                     名古屋市東区千種町元古井十五番地

                               曽 我 年 雄          

 

 

 


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