明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十四章 中京玩具商会(1)

  中京玩具商会 中京兄弟商会 曽我商店 曽我渋谷商店

   (東京玩具販売購買利用組合、東京セルロイド加工所、名古屋陶磁器工業組合)

 合資会社広進商会も経営の不手際により損失を招き遂に解散の止むなきに至ったので私は兼ねて広進商会と取引関係も有り錦窯組勤務時代の知友であった小中源一君の経営する自由人形製造会社へ入社する事となった。それで小中君と私の名で次の様な挨拶状を広進商会の取引先へ送った。

 拝啓

 時下甚暑の候に候処益々御繫栄の段奉賀候

 陳者小生儀予ねて合資会社広進商会を経営仕り玩具の改善に奮闘努力在罷候処不幸同

 商会を解散するの止むなきに至り申候は誠に遺憾に堪えざる次第に御座候

 就いては今般同商会と姉妹関係を有せし日本に於ける自由人形の最高権威中京玩具商

 会に顧問として入社仕り専ら製造上に於て品質の改善と嶄新なる意匠の案出に尽瘁

 仕り優秀なる製品を以て旧来の御恩顧に酬ゆる日も近き事と確信仕る次第に御座候

 先は右御挨拶旁々如斯に御座候

   大正十五年八月  日                     謹 言

                                曽 我 年 雄

此の挨拶状と共に小中君も次の案内状を出した。

 謹敬

 炎暑の折柄愈御健勝被為渉奉大賀候

 陳者当商会製造に係る自由人形は従来(合)広進商会に一手販売を特約仕り同商会よ

 り御注文に応じ申居候処今般同商会都合により解散仕る事に相成候に就いては爾今同

 御注文は直接当商会に於て益々製品の改善、発送の迅速とを以て御用命に応じ可申候

 間多少に不拘旧に倍し御愛顧御引立の程奉希上候

   大正十五年八月  日                     敬 具

                     名古屋市西区栄生町

                         中京玩具商会 小 中 源 一

                           電話西八七〇 接続 一九

                           振替 名古屋貯金八二三六  

 

 そこで中京玩具商会では人形の改良と販売を担当し、従来取引のあった広進商会の客廻りや各都市の百貨店等への売り込みに当った。その結果北海道の今井百貨店札幌本店では特約店として一手販売を引き受けて呉れたとか、東京では三越呉服店だけで販売する契約も出来た。

 私はこの頃予ね東京の知人児玉喜一郎氏が東京府小松川同𨳝会敷地内に新築した、セルロイド玩具村共同作業所を経営する事となり、顧問として招聘され毎月十日間くらい東京へ出張してセルロイド玩具の見本、図案及び製作等を一任された。

此の工場も種々の事情で見本の製作のみに止まり営業を開始する迄には至らず昭和二年の暮頃その経営を山崎宇一郎氏(同氏は永年アメリカ カリフォルニヤ州で農園を経営し成功後帰国、現に三映社という映画配給会社の資本主であり経営者である)に譲渡された事に伴い社名を東京玩具販売購買利用組合作業所と変更し所長となり諸準備を整え作業を始めた。

 

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