明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十二章 ドイツ行から帰国迄(2)

一週間たった或日、ロンドンのローゼン氏から送金があった。米貨四百ドルでA君と二人で受取りに行く事になった。

先日此処へ着いた翌日、日本大使館を訪れた時の注意に「日本人は兎角、金を持つと誰の前でもこれ見よがしに、札をパラパラ出して買物をしたりする。如何にも日本人は金を持っていると思わせる様な癖がある。之が一番禁物で殊に此処では出来る丈少額の紙幣を使う様にして金を持っていると思わせない様にしないと、飛んでもない災難に会うかも知れない、何といっても現在の国民の収入が少いのみならず不自由に不自由を重ねているので金の出し入れは人目につかない様にしなければならない」と呉れぐれも注意されていた。

それで二人は、どの様にして金を受取りに行ったら良いのか相談した。ニューヨークだったら十ドル紙幣で四十枚洋服のポケットに入れてくれば何でもない。けれども紙幣マルクではとてもポケット位では間に合わない。そこで色々考えた結果手提げ鞄と大風呂敷を用意した。そしてホテルで何時も頼んでいる馬車を頼んで銀行へ乗り着けた。

銀行の窓口に積み上げられたその紙幣の束は千マルクを始め十マルク等の小額紙幣迄勘定するにも中々時間が掛かった。やっとの思いでそれらを鞄や風呂敷に包んで辺りを見回して元の馬車に乗った事には乗ったが、この馬車屋が変な気を起こして強盗に早代わりするのではあるまいか等と二人は顔を見合わせビクビクしていた。

無事にホテルへ着いてホットしたが今度は又別の心配が湧いてきた。室に置いて外出した後で消えて無くなりはせぬか、金だけでなく寝ている間にグサッと殺られるのでは、等と考えて実に厄介な事になったと、二人は心配でたまらない。幸い私は明日パリーへ出発するので旅費と小遣い丈をトーマスクックでフランに変え残り百五十ドル許りをトラベラーズチェツクに変えて行く事にしたので心配は無くなった。後に残ったA君はどうするのだろう。

後でA君に聞いた所によると私が出発した後は紙幣入りのトランクを毎晩枕にしたり布団の間に入れたりして寝て居たとの事であった。

 今のドイツは貴族も平民も差別はない。街の古道具屋や土産物店で何と驚く事に勲功によって与えられた勲章を一種の装飾用にメダルとして一個何百マルクの正札を付けて売っているのである。之等を見るにつけ敗戦国の悲哀を感ぜずには居られなかった。

私の泊ったホテルに五十才前後の貴族の立派な人が泊っていた。その人の話では(英語

)ベルリンの郊外に相当広い家屋敷を持っているが現在の状況では貴族でも衣食住の為には働かねばならないが自分はもう老年でもあり、それも出来ないから家を売りたいと思ってベルリンへ来たものゝそれが出来なかったので自分達三人は小さな室で暮らし他は全部貸したいと言っていた。家賃は六百マルクで良いと、今の物価からみれば随分安いと思ったがそれでも借りる人がいないので困っていると如何にも淋しげに笑っていた。

 

 

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