明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

2022-01-01から1年間の記事一覧

第十六章 趣味(上)- 1

私の趣味は普通一般の趣味と収集趣味と二つに分けられる。 普通一般の趣味としては和歌、謡曲、仕舞、写真、園芸(朝顔及び菊の栽培)読書、釣り等で、収集趣味としては世界交通乗車券、明治文化に関する錦絵(地震に関する物、図書並びに印刷物)肉筆木版刷…

第十五章 若竹寮 名古屋陸軍造兵廠専属宿舎(2)

又新築中の大きな家はこれ又強制的に軍で借り入れ寮にする等、或いは営業を目的に新築する者も多くなり十六年末には軍指定の寮は実に七十軒に及んだ。 之等の寮は造兵廠直属で青年工員寮と一般工員寮との二つに分かれている。他に造兵廠直営の技術養成所生徒…

第十五章 若竹寮 名古屋陸軍造兵廠専属宿舎(1)

支那事変は昭和十二年七月七日廬溝橋に端を発しその後益々戦場が拡大した。 戦場の拡大に伴い軍需工場の大拡張が行なわれ産業戦士も大動員された。 名古屋陸軍造兵廠でも青少年工員の大量募集で数千人を集めたが其の収容宿舎の用意が無く困っているとの事で…

第十四章 中京玩具商会(5)

注文を受けると同時に借金も亦増えてくる。一枚の約束手形は二枚となり三枚となり、その結果取引きを初めて一年たつか、たゝない内に名古屋銀行からは再三の注意を受け遂には不渡り手形で取引き停止となって遂に我商会も断末魔の運命に近づきつゝあった。 け…

第十四章 中京玩具商会(4)

一方他の業者は我々が注文を多く取っている事を知ってからというものは彼等の常として其の意匠や形状を模倣し低価格で粗悪な物を作り各商舘の仕入れ部に食い込み或は我々の見本を内職者より入手して其の儘注文を受ける等あらゆる手段をもって我々を妨害し又…

第十四章 中京玩具商会(3)

始めは裸体手足自由人形だけであったが、この儘では到底長続きはせず之を他に応用しなければ売れ行きも減少するに違いないと考えてからは、専ら着せ付け人形に留意し各種風俗人形や四季の風俗、又はその他の着せ付けをした物を、或は男女組に或は色取り合わ…

第十四章 中京玩具商会(2)

私としては、それと同時に又顧問として従来通り毎月此処へ出張して見本製作に当った。 然し是れ又組合員の不統一、並に児玉氏の最初の計画に無理な点が有ったので僅か数台の機械を動かしたのみで挫折し、同組合は解散し工場は徒らに雑草の繁るに任かす運命に…

第十四章 中京玩具商会(1)

中京玩具商会 中京兄弟商会 曽我商店 曽我渋谷商店 (東京玩具販売購買利用組合、東京セルロイド加工所、名古屋陶磁器工業組合) 合資会社広進商会も経営の不手際により損失を招き遂に解散の止むなきに至ったので私は兼ねて広進商会と取引関係も有り錦窯組勤…

第十三章 (合)広進商会(4)

こんな事が永く続く物ではない。それに大正十四年の夏から三ケ月も私は大病で寝て終った。大磯君一人で相当頑張ったが深い穴は埋める事も出来ないし又挽回する事も出来ない様になって終った。五カ月間、玩具の改善に努力した甲斐も無く、事こゝにきて解散す…

第十三章 (合)広進商会(3)

関東大震災の一年前、大正十一年十一月二十六日従来の店舗が狭くなったので、下竪杉町一丁目二番地へ移ってからは益々忙しくなった。 震災後小田原で木製玩具の製造をしていた、倉橋連之祐という人が私が森村組に勤務中、度々取り引きで知合であった関係から…

第十三章 (合)広進商会(2)

記念品や広告の様の物は時期と日時の制限があり又数量と形でも日本陶器にストックの有る物と新たに作らなければならない品があり、作るには相当の数と日数がかかり仲々注文通りの日に間に合わない事や、少しづつの注文でも合わせるとストックの数が足りなく…

第十三章 (合)広進商会(1)

拝啓 薫風緑樹の候益々御安泰之段奉慶賀候 陳者小生儀永年森村商事株式会社及び日本陶器株式会社に在勤中は公私共に一方ならず御懇情を辱うし、誠に有難く奉感謝候、然る所今般都合に依り、四月三十日限りを以て退社致し、更に各重役諸氏の御賛助と、各工場…

第十二章 ドイツ行から帰国迄(5)

香港に着いたのは二十九日だったと思う。そこの傾斜地に建てられた住宅の夜間の光の美しさは有名である。船は段々日本海に近くなった。上海に寄航してから冬服に着替えたり荷物の整理をする。四十余日の航海も終り数日後には長崎に着くのだ。 船中では「さよ…

第十二章 ドイツ行から帰国迄(4)

ベルリンの宿では英国人のモリソンという日本語をよく話せる人が旅行者の世話を大変よくしてくれた。官庁の手続きや列車の切符迄も買って呉れる。行く先々には便利な人がいてくれるものだ。言葉が判らなくても心配はない。 寝台車でベルリンを離れた。途中ベ…

第十二章 ドイツ行から帰国迄(3)

ホテルは何と言っても外国からの観光客や商人等で賑っている。物資も相当備えてあるし、それ程不自由ではない。食堂へ行けば美食もできるしワインもウィスキーもある。 只電燈の数が減っているのと砂糖の無い事位であろう。それに目立たないものに革製品と金…

第十二章 ドイツ行から帰国迄(2)

一週間たった或日、ロンドンのローゼン氏から送金があった。米貨四百ドルでA君と二人で受取りに行く事になった。 先日此処へ着いた翌日、日本大使館を訪れた時の注意に「日本人は兎角、金を持つと誰の前でもこれ見よがしに、札をパラパラ出して買物をしたり…

第十二章 ドイツ行から帰国迄(1)

欧州大戦は五年も続きドイツ軍は孤軍奮闘、連合軍を悩ませていたが千九百十八年八月、最後の大反撃も空しく連合軍の猛攻撃により先ずオーストリヤ軍が敗れ続いてブルガリヤが無条件降伏しトルコも之に倣った。 戦争中の国内の物資の欠乏はその極に達し且敗戦…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(6)

旅券にベルギーの査証を受け十二月七日パリーを発ちブリュッセルに着いたのは午後であった。パレスホテルに一泊した私は有名な日本ガーデンを見る。五重の塔が池に影を写しているのを見て懐かしく感じた。有名な小便小僧は横町の目立たぬ所にある。平日は裸…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(5)

セーブル 此処は名高い国立陶磁器製造所がある。 一日此処を訪れた。精巧な製品は只感嘆の他はない。然しこの製品は販売されていないので、市中では見る事は出来ない。 一通り市中の見学も終わったので百貨店を廻り見本になる品物を買い集め心許りの土産物も…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(4)

美術の国、これは誰でも考える事で美術家は是非此処で修行をしなければならない、という事は建築物や郊外の景色が皆絵になる様な事とルーブル博物館には美術品が網羅されており、研究材料に事欠かないという事も重要な要素である。又フランス人が美術思想に…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(3)

歩道にはレストランが軒を突き出したりテントを張って美しく飾りその下には椅子やテーブルが並べてあり人々の食事や休憩の場所となっている。パリーの宵は淡い電燈のもとで何となく情緒がある。 ブルーバール通りはニューヨークの五番街通りロンドンのバイス…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(2)

さてロンドンに名残りはつきないが今朝はいよいよドーバー海峡を渡りフランスのパリーへ向かうのだ。 この海峡は僅か二十二哩(約三十五粁)の短い距離ではあるが渡船では四時間二十分かかる。然し潮の流れが速く少し風でもあれば小さな船は木の葉の様に揺れ…

第十一章 ヨーロッパ行(イギリスからオランダ迄)(1)

ニューヨークを出帆したのは大正九年十一月十三日であった。荒木君が人形製造の機械を買う為にドイツへ行くのを機会に同行する事となった。 私は船にはあまり強いとはいえないが、太平洋での経験も有り少しは自信もあったので少し位のシケでは酔う事はない。…

第十章 ニューヨーク市所見(4)

地方都市見聞 ワシントン市 ニューヨークから十数時間で行ける。首府であり政治都市である。ホワイトハウス、国会議事堂、総大理石の華麗な図書館、公園内に高く聳びえる五百五十五呎(約四十八米)のエジプトから移築したワシントンモニュメント等他に役所…

第十章 ニューヨーク市所見(3)

◯富豪では「ロックフェラー」や「モルガン」や「バンダビルト」や「カーネギー」等という人が居り一千万ドル以上の富豪が、現在一万人以上もいる相だ。 ◯女尊男卑の風習はこの頃稍、下火の様だ。電車の中で女性が塩鮭の様になっていても、知らぬ顔をして眠っ…

第十章 ニューヨーク市所見(2)

橋梁ではイーストリバーのブルックリン橋が世界一と言われている。十三年の歳月と二千万ドルの巨費を投じて今から三十年前に開通したもので、全延長五千九百八十九呎(約千九百米)丁度日本の十六町六間余である。 橋桁の高さは満潮時水面から百十呎(約三十…

第十章 ニューヨーク市所見(1)

ニューヨークの生活は淋しいがその中でも楽しく呑気な所があった。 家庭の雑事も無く、金をポケットにジャラつかせて居れば食べる心配も無く土曜日は半日、日曜日は自分の身体で勉強したければ勉強もできるし遊びたければいくらでも勝手に遊ぶ事も出来る。サ…

第九章 ニューヨーク生活(3)

明治四十五年七月三十日 日本では天皇が崩御せられ在留邦人は謹んで喪に服した。 翌三十一日 年号は大正元年となり在留邦人は皆黒の服装を着る事となった。 大葬遥拝式は九月十二日午後九時(国内では十三日)第七街と五十七丁目角のカーネギーホールで行わ…

第九章 ニューヨーク生活(2)

友人達は「ホームシック」に罹らない様にと、日曜日には市中の見物や或は重役の家へ案内して呉れる等色々慰めて呉れた。地下の食堂とか、支那料理屋や時にはホテルの食堂等へも連れて行って呉れたり一日も早くニューヨークに馴れる様面倒を見て呉れた。 さて…

第九章 ニューヨーク生活(1)

W君はブロードウエイの森村ブラザーズの近くのワシントンプレスにある英国人の婆さんが経営している下宿屋へ案内して呉れた。彼女の名前はミセス・チャザムといって五十才位のデブデブ肥った大きな人だった。(Mrs.Chatham 74 WASHINGTON PL., N.Y.) この…