明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

2021-01-01から1年間の記事一覧

第四章 京都下宿時代(1)

明治三十一年三月父が名古屋へ転勤してから下宿生活となり最初京都の中央、活花の家元池の坊で名高い六角堂の門前鐘楼の傍らに父の知人の煎り豆専門の店があった。一先ず其の家へ下宿し其所から寺町丸太町の学校へ通学していた。が道も遠く何かと不便なので…

第三章 美術工芸学校時代(3)

北条静という人の所へ停雲に誘われてバイオリンを習いに通ったが半年許りでやめた。彼はその後一人で通っていた様だ。 学校では月に二、三回郊外写生の課目があるので、その日は思う儘、山野を跋渉し一日を郊外で過ごした。その服装といえば黒紋付の羽織袴で…

第三章 美術工芸学校時代(2)

明治三十一年三月父が名古屋の森村組出張所へ転勤となったので、私は下宿生活をする事となった。最初は父の知人であった六角堂前の煎豆屋の二階を、三食付き月五円五十銭で泊っていた。同級生に川端敬雄(春翠)(卒業後山元春挙先生の門下となり草笛会の同…

第三章 美術工芸学校時代(1)

予備科では翌々年の三月迄、横山大観先生の指導を受け、絵画本科へ進学してからは鈴木瑞彦先生に教えを受ける事となった。当時考古学、美術史は校長今泉雄作氏が担当して居られた外、富岡鉄斎、竹内棲鳳(栖鳳)菊池芳文、山元春挙等の諸先生が居られ京都画…

第二章 京都伏見時代(3)

そこで腕白小僧も東京から京都へ来て、板橋の学校へ神妙に通学していた。 処が丁度付近に住んでいた稲荷の神官の息子で一級上の道楽者?私より以上に腕白で怠け者が、登校する時の良い道連れであった。毎朝誘って呉れるので始めは誠に良い友達で親切な人だと…

第二章 京都伏見時代(2)

父は京都陶器会社へ図案部長として招聘され既に勤務していたので間も無く付近の一軒の家を借り、そこへ移った。伏見稲荷神社の直ぐ傍であった。 私は学校へ通わなければならないので伏見桃山の麓にある板橋尋常高等小学校高等科一学年へ転入した。こゝで当時…

第二章 京都伏見時代(1)

先に京都に行っていた父から東京を引き払って京都へ来るように連絡があったので母一人で荷物を整理して住み慣れた小梅村を後に親子四人は一刻も早く父に会いたいと新橋駅を発ったのは明治二十三年秋も末頃の十月ではなかったかと記憶している。 汽車というも…