明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十六章 趣味(上)- 2

或日このカメラについて面白い話があった。アメリカの或郊外へ出かけた時の話である。

夏の始めの日曜日であった。私はA君と例のカメラ(このグラフレックスは千分の一秒まで写す事ができる物で形は大型で然も原版は一枚一枚の枠に入っているので一ダースも写そうと思えば相当大きな箱が必要で長さ二尺幅六寸高さ一尺位(六〇糎X二〇糎X三〇糎)のズック張りで必要な物を皆いれる事ができる様になっており、それを肩から掛ける様になっている)を肩に郊外の田舎へ出かけた。すると学校帰りらしい三、四人の小学校の生徒が私等二人を見ていたが、その中の一人がWhere is monkey?と言って後を振り返った。

我々は何を言っているのかと不審に思って其の子等を見送った。

するとA君は突然吹き出して笑った。私は何が何だか判らなかった。漸くA君が「君、猿回しと間違えられたのではないか」と言った。成る程そうだナーと知って二人で大笑いをしたのであった。この猿回しというのは丁度私が今肩から下げているカメラ入れの箱位の物に猿を一匹乗せて箱のハンドルを回すとそれがオルガンになっていて音楽が始まる。すると猿は飛び下りて音楽につれ色々芸をする。日本のそれと大差ない。

子供等は其の猿回しだと思い猿がいないので、不審に思ったので「猿は何処に居るのだ」と言ったのである事が判った。遂に我々は猿回しになって終った訳である。誰も笑わずにはいられない。こんな事や要塞付近であるのを知らずカメラを覗いている内にオートバイで駆けつけた警備員に大目玉を頂戴したり立ち入り禁止の柵内に入って怒鳴られたりもした。

真夏戸棚の中で現像していて種板のゼラチンがとろけたり種々の失敗や経験を重ねた。

其の内に色々の研究会や機関誌の懸賞に応募して夫れぞれ入選した。ロンドンのサロンでも入選して斯界では少しは人に知られる様になった。

また夫れだけに種々勉強もした。無駄なネガを数百枚も作ったものだ。ゴム写真もオイルプリントも手掛けてみた。が真の写真の美しさは色々細工をしたものでは表現出来ないと、いう事に気が付いてからは専らレンズによる作画に専心した。帰国後アルバムを拡げてみると其の一枚一枚に当時の事が偲ばれる。

園芸の趣味、といっても広い範囲のものではない。朝顔の時期には、それを作り菊の頃になれば懸命に手入れをして花を楽しむ位のものである。が朝顔も菊も人に誇れる丈の自信はあった。其の他の花卉も人に負けない様花を咲かせる事が出来た。

 読書は元来好きだ。然し現代小説の様な物は青年時代に少しは読んだが中年になってからは歴史とか随筆とか徒然草とか源氏物語の様な昔の物を読む様になり特に太平記平家物語は好んで読んだ。漢字を習っていた頃は十八史略日本外史、文章規範等に興味を持ち勉強もした。

矢野恒太著「読方詳解ポケット論語」は旅行の時は何時も鞄に入っていたものだ。

今でも外に出た時等は電車の中でも何か読んでいないと物足りなくて何時も本を手離す事がなかった。

 

 

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