明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十四章 中京玩具商会(4)

一方他の業者は我々が注文を多く取っている事を知ってからというものは彼等の常として其の意匠や形状を模倣し低価格で粗悪な物を作り各商舘の仕入れ部に食い込み或は我々の見本を内職者より入手して其の儘注文を受ける等あらゆる手段をもって我々を妨害し又は豊かな資本を活用し我々の納期遅れに対しては之を自分の方に取り入れる等卑劣な行為の限りを尽くして漁夫の利を得ようと、あがいていた。

又悪辣な商舘に至っては見本を出させ注文は系列下の製造者に之を示し価格を定める等言語同断な事をする者もあった。

其の商舘(特に名を秘す)は英国向け輸出を主としていて英国の玩具商に有力な客を持っていた。我商会としては、さほど久しい取引きではなかったが我方の見本の優秀な事に何時も驚いていた。折も折数点の見本に対し近来稀な膨大な数の注文が来た。然も続いて何千哥(グロス)という追加注文は一年かかっても出来ない数量で我商会も納入の予想さえ出来なかった。

処が其れは我方の提出した見本の一部に過ぎなかった。

他に尚数点の然も確実に利益のある七吋位の着衣の簡単な人形と、他に四吋の三種組の物と尚外に一点は現在受注して製造中の黒人の子供の三種組の小型の物で其の数量は着せ付ビスク人形の始まって以来の大量な物であった。

勿論当方もその商舘を信用して居ればこそ、安心して見本も提出し得るのであって前記の注文も一応相談があるべきであるのに現在製造しつゝある品に対しての追加注文並びに前記の注文に対しては工業組合の玩具部部長の現職にあり平素組合で顔を合わせ昵懇の間柄である某製造家(名を秘す)(この人は名古屋市では一、二と言われる大工場を自営して自他共に許している大製造家である)その製造家に密かにその注文を受けさせ当方には一言の挨拶も無く無断で、之を作らせた事が後日判明したがこれは道義上許す可からざる行為である。

当然我が方へは来るべき注文も来なくなった。即ち当方は見本製造所の様に考え常に見本を手に入れ様と苦心していた。それだけ我方で作った見本は業界に重きをなしていたのだ。

 それとは別に又資金問題が起こってきた。

我商会としては以上の様な大注文の受け渡しには実の処相当の困難がある。材料の仕入れ人形の生地の注文には納期に間に合わせる為には資金が必要で有る。折角受けた注文は満足に納入して信用を得なければならない。それでなければ又前述の様な他の製造家を喜ばせる事になって終う。それで資金の調達に無理な条件が加わって収支伴わない高利の金も使用しなければならなかった。

その為に満足に荷渡しが出来ない事が度々あった。

 

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