明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十章 ニューヨーク市所見(3)

◯富豪では「ロックフェラー」や「モルガン」や「バンダビルト」や「カーネギー」等という人が居り一千万ドル以上の富豪が、現在一万人以上もいる相だ。

◯女尊男卑の風習はこの頃稍、下火の様だ。電車の中で女性が塩鮭の様になっていても、知らぬ顔をして眠った振りをしていたり、新聞を読んで見えないそぶりで、立とうともしない。

◯然し女性の前でズボンのボタンを外したり靴を脱いだり知らぬ人に声をかけたり年齢を聞いたりするのは失礼となっている。又女性を保護すべきだという法律さえも出来ている。其の頃女性のスカートの裾の狭い形(タイトスカートの事)が流行した事がある。其の時等は電車の昇降口が普通の高さでは、スカートが狭いので乗る事ができない。その為昇降口がレールから五、六寸(十五~二十糎)位の物に改良された電車さえ出来た。

◯「オールドミス」も「バチェラー」(独身者)も宿無しも歯医者も靴磨きも新聞売りの小僧も、花柳病患者も、頗る多いのには驚く。

◯驚く事はまだ沢山有る。ニューヨーク市即ちマンハッタンは一枚の岩だ。そして七百九十二フィート(二百五十メートル)の高い建物は五十五階建で、五セント、十セント均一売りの本家本元の「ウルウォース・ビルデイング」と言い下町の一隅にアメリカの代表者の様に、雲にそびえて立っている。

◯ニューヨーク児は一般に狂人じみて負けず嫌いで正直で子供の様な所もあって、つきあい易い。然し「タイム・イズ・マネー」で実に精力家である。

ニューヨーク市のSkyscrapers(摩天楼)は米国人の気質をよく表わしている。

◯然し一夜セントラル・パークを歩いてみると百鬼夜行で此処はニューヨークのダークサイドとも言える。

コニーアイランド(Cony Island)此処は夏の賑わいで知られている。ブルックリンブリッジから乗車してブライトン・ビーチ駅を下車すると、ここから海岸に沿って一マイル(約一粁)でコニーアイランドの大遊園地へ出る。夏の遊園地として、其の規模の大きな事は流石アメリカ第一と言われる丈ある。此処には日本人が唯一とする商売で玉屋と言う物がある。

玉を転がして点を取りその点により景品がでる。その景品は大抵栗田焼の花瓶で三尺位(約九十糎)の物迄ある。然し之を取るには相当の金を捨てなければならない。二晩も三晩も、かゝって漸く手に入るとの事だ。

こゝが狙いで玉屋といえば殆ど日本人の独占で景品が日本の品物である事を呼び物としている。そして夏の間丈で一年間の金を儲けるのだ。日本の商社等では特にこの玉屋向けとして、見かけは立派でもその質は如何かと思われる物を扱っているが京都栗田焼等が適当とされ毎年相当数輸出されている様である。この玉屋は軒を並べて客を呼んでいるが右左を見乍らこゝを通り過ぎるとそこにルナパークという歓楽境がある。五十セントを払って入ると三十余種の遊戯場が並んでいる。奇想天外の物や爆笑させる物や色々な趣向で人を引き寄せている。また通り道にはそれぞれの仕掛けがあり、奇声を発する者、転ぶ者、風で裾をまくり上げられて座り込む婦人、帽子を吹き飛ばされて唖然とする紳士、他所では到底見られない風景が至る所で見受けられる。不夜城のこの場所にはこの他見せ物、ウォーターシュート、競馬、等々大人から子供まで、婦人、老人でも楽しまれる様になっている。土曜日の夜から日曜日にかけての賑やかさは日本では想像もできない。それに広大な海水浴場があり、これ又昼夜を問わず河童で一杯だ。殊に夜の更けるに従って砂地では男女の濃厚なシーンも見られ独身者を悩ませている。

 

そしてニューヨーク湾頭には自由の女神アメリカ全土に向って永遠に自由の火を点し続けている。

 

 

 

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