明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第十二章 ドイツ行から帰国迄(3)

ホテルは何と言っても外国からの観光客や商人等で賑っている。物資も相当備えてあるし、それ程不自由ではない。食堂へ行けば美食もできるしワインもウィスキーもある。

只電燈の数が減っているのと砂糖の無い事位であろう。それに目立たないものに革製品と金物類が少ない事である。それと反対に街で目に付く物は外国の駐屯兵の横暴と外国を追われて流れ込んだ慰安婦の横行だ。昼と言わず夜と言わず至る所で観光客の袖を引いている。ウンターデンリンデンの大通りや裏町の小ホテルは彼女達の巣窟だ。

ウンターデンリンデンはベルリンの代表的な大通りで菩提樹の並木があるので、この名がある。街の様子や人の感じが何となく日本に通ずる所があり懐かしい感じがする。店の装飾等の落ち着いた重々しい所に引き付けられる様である。建築物は国民性を表している様に堅実で寧ろ荘厳というべきであろう。

ケーニッヒ・リベ・シロス広場の宮殿は十八世紀の始めゲーテの設計による物と言われ正門のドームは六角形で堂々四方を圧し周囲の彫刻と柱毎にある五つの銅像はドイツの歴史上の人物であろう。その建築は帝政ドイツの往時を偲ばせる。

シプレー河の辺り宮廷前広場にはカイザー・ウィリヘルム一世の凱旋記念碑がある。パリー城下の誓いに、ドイツ大帝国を建設しカイザーの王位につき聯邦統一の偉業を完成し覇をヨーロッパに示した大帝の像は大理石の礎上にあり馬上豊かに凱旋当時の得意満々の有様を伺い知る事が出来る。台の下四隅のライオンは数々の軍機、戦利品を足で踏みつけ共に勝利を、誇らしげに高く吠えている様である。

その銅像を中心に左右両端にシプレー河に突き出して作られている大理石の楼台は、それ程大きくはないが屋上の高い所に勝軍の女神が右に大軍旗を手に巻いて持ち左には四頭立ての馬車を駈って天を行く姿は誠に豪華、雄大でこの記念碑こそドイツ魂の象徴とも言える物であると思った。博物館は古代ローマの建築に倣って官邸の左数丁離れてシプレー河に沿って建てられている。又ニコライ寺院はその中央の三個のドームと共に信仰の人々を集めている。

この辺り一帯に掛けられている数条の橋はそこに建てられている銅像と共に見事な調和を見せている。公園にある銅像、街に立つ記念碑或は建築の装飾物は立体的な物が多く至る所でその彫刻美を見る事ができる。パリーの様に名所は多くはないが一つ一つの建築が模範建築の様だ。

 其所此処を見物して数日を過ごした私はベルリンに左様ならをしてA君とも別れる事になったので、このベルリンに着いた翌日の赤ゲット振りを一つ。

A君と二人で街へ出て丁度、昼食時になったので或るレストランへ入った。入口で定食の代金幾らかを払ったが尚他に何か支払えと言うので幾らかの金を払った。すると直径五分位のニッケル色のメダルの様な物を呉れ、それとフォークとスプーンを渡して呉れたので二人はその儘奥へ入るとカウンターから一揃いの皿をボーイが持って来て呉れたので万事OKだ。

そこ迄は良かったが判らないのが、そのメダルだ。中央に25という数字と周囲に字が記してあるが一寸読めない。A君も私もドイツ語は判らないので聞く事も出来ない。

若しかするとデザートに何か出るのかと暫く待っていたが何も出て来ない。どうしても判らないので、その儘ポケットに入れてそこを出てしまった。後で判った事だが、このメダルの様な物はスプーンとフォークの代金のしるしで、話によればスプーンとフォークの紛失が多いので、之を防ぐ為先に、この代金を支払わせ紛失しても損のない様に、この様な方法を取っているとの事だ。帰りにスプーンとフォークと之を差し出せば先に払った金を返して呉れるのである。という事が判りそれならフォークとスプーンは持ち帰っても良かったのだなーと大笑いで、そのメダルは今も私の趣味の収集品として保存している。

 

 

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