明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第六章 日露戦役 - 奉天付近の会戦記(5)

  三月十日

この付近は我々が着く前に第九師団が苦戦した所で、今尚敵は桃家屯付近(約四千米南東)に居り堅固な陣地に立て籠っている。我々の任務はこれらの敵を撃破し第三軍を援助する事である。午前二時 大石橋東南端、街道寄りの畑地に肩墻を構築し、工事を終り攻撃を始め様としていた午前七時頃 突然一発、又一発と第三弾は工事がまだ終っていない第二中隊第一小隊の列線に着弾した。この為に戦友中村砲兵少尉は名誉の戦死をした。これは約二千米離れた所の釣鐘屯という所に陣地を占めていた約一個中隊の敵砲兵の砲撃であったとの事だった。

 我々は山砲のみで応戦した。敵は約一時間許り砲撃していたが午後二時頃になると退却を始めた様で砲撃も緩かになってきた。我々は更に砲撃を加え二時五十分、前進し奉天街道の大方子屯付近の橋近くに砲列を敷き奉天方面へ退却する敵歩兵大部隊に対し、猛攻撃を加え更に前進して役塔付近の小丘の上に砲列を敷き、奉天北方鉄嶺街道を敗走する敵諸部隊に側面より、榴霰弾で砲撃し多大な損傷を与えた。

 今日迄にこの時程楽な攻撃は無かった。弾丸は一発も飛んでこないし、小高い丘の上からは約三千米の鉄嶺街道辺りの周りの道も畑も、砲車や騎兵や歩兵の一隊も一目散に敗走していくのが肉眼でも見えるのだ。一発必中約一時間許りの間に銑鉄榴弾三発、榴霰弾三百三発を使用した。勿論我方の損害は零である。然も小隊長及び砲手欠員の儘で我中隊では各砲車に砲手三名(通常六名)という有り様で私は一番砲手を兼ねて小隊の指揮をしていたにも拘らず思う存分の砲撃を加え少しでも亡き戦友の仇を討ったと自らを慰めたのである。

 夕方になり敗走する敵も殆ど居なくなり、我々は又前進命令により奉天街道を奉天城を目指して進撃した。

 最早や周辺に敵は見えない、只々一時間前の戦闘を物語る遺棄死体や負傷者が救いを求める悲壮な声が彼方此方に聞こえてくる。無数の兵器弾薬車両が散乱し砲車の通る道も無いので之等を乗り越え叉は砕きながらの前進だ。そして日没前に奉天停車場へ着いた。

 この駅は東清鉄道では最大の建築物の一つで敵が兵站部として糧食資材の蓄積場として使用していた。敵はこれらに火を放って退却したので我々が着いた時には既に建物も資材も殆ど灰になり余火は未だ天を焦がしていた。

其の夜は奉天城内に入り未だ遠くから聞こえる砲声を聞き乍ら警急宿営をした。

  三月十一日

昨夜は奉天北門街に宿営した。我砲兵部隊は疲労を癒す暇も無く尚敵を追撃すべき命令を受けたので前衛砲兵として鉄道街道を北進し約四里(十六粁)柳条屯を経て午前十一時二十分「ウハングアンツイ」の停車場付近に着き、其の夜は近くの一村落に警急宿営した。午後五時 大隊命令を受けた。

  ◯大隊命令  三月十一日 午後五時 於ウハングァンツイ

 一、師団ハ三縦隊トナリ西進シ岔台付近二宿営ス。支隊ハ依田少将ノ指揮二属シ第一

  縦隊トナリ明十二日午前九時三十分観音屯出発、分官屯、張家子「パジヤプツィ」

  ヲ通過シテ後民屯二至リ宿営ス。

 二、大隊ハ午前九時砲廠二集合スベシ。

 三、大行李ハ大隊ノ後方ヨリ歩工砲ノ順序二一団トナリ岔台二至リ糧秣ノ補給ヲ受ケ

  宿舎二至ルベシ。

   師団司令部      岔台

   歩兵第四旅団     前後岔台付近

   砲兵第八聯隊     巌家荒

   後備砲兵隊      後民屯

   衛生隊        官家堡子

   野戦病院       四台子

   弾薬大隊       花牛堡子及び正堡子

 本日中隊長が勅語及び感状を砲廠で将兵一般に口達し、こゝで奉天の戦闘は日本の勝利の内に終局を告げた。

    勅  語

 奉天ハ客秋以来敵軍茲二強固ナル防禦工事ヲ設ケ優勢ノ兵ヲ備エ必勝ヲ期シ衝ヲ争ハ

 ントセシ所ナリ我満州軍ハ機先ヲ制シ驀然攻進寒氷雪中力戦捷闘十余昼夜ヲ連ネ遂二

 頑強死守ノ敵ヲ撃破シ数万ノ将卒ヲ檎ニシ多大ノ損害ヲ与エ之ヲ鉄嶺方面二駆逐シ昿

 古ノ大勝ヲ博シ帝国ノ威武ヲ中外二発揚セリ。朕深ク汝将卒ノ能ク堅忍持久絶大ノ勲

 ヲ奏シタル嘉ス。尚益々奮励セヨ。

本日満州軍総司令官より感状を受けた。

     感  状

  明治三十八年三月九日

                         第二軍司令官 男爵 奥 保鞏

 後備独立野戦砲兵第二大隊長 比留間信良殿

 第二軍司令官男爵奥大将ノ指揮二属シ渾河ノ両岸及ビ奉天付近二作戦シタル諸部隊ハ連日連夜最モ適当且勇敢二動作シ以テ全般ノ戦闘ヲ有利ノ方向二導キタリ。其功偉大ナリト認ム。

依テ感状ヲ付与ス。

 

 

 

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