明治・大正・昭和を生きた日本人絵付師の生涯

美術、陶器、戦争、NY渡米、渡欧。明治・大正・昭和を生きた夫の曽祖父の自叙伝。大変興味深い内容でしたのでブログにしました。

第八章 渡米(横浜出帆からニューヨーク迄) (3)

  七月七日 月曜日

 午後二時十分発の列車はシカゴ、ニューヨーク間千哩余を(千六百粁)十八時間で走る「二十世紀特急」という超特急で一時間で六十から八十哩(百~百三十粁)走る。

この間止まる駅は九ケ所でニューヨーク近くのオルバニー(OLBANY)という駅で電気機関車に変わる筈だ。

兎に角この列車はスピードが速いので蒸気機関車への給水は止まってする事が出来ず走り乍ら補給する様になっている。レールの中間に一哩も二哩もある長い溝があり貯水してある。それから走り乍ら水を掬い上げて補給する様になっている。大抵五時間毎にこの溝を通過する。

列車内には種々の設備が有り浴場や床屋も有る。急ぎの商用ではタイプライターを打って呉れるボーイもいる。勿論電報や手紙も頼めば次の駅で投函もして呉れる。

オルバニー駅はニューヨークに程近いハドソン河の下流に有りボストンへ行く時はこゝで乗替える。此処で電気機関車に変わりニューヨークへ向うのだ。ニューヨークでは街が煤煙で汚れるのを避ける為石炭を焚く事が禁じられているのだ。

寝台から起きて今朝は愈々ニューヨークへ着くというので荷物を纏め食事も早く済まして窓の外を見ると、もうハドソン河畔を走っている。大都会に近づいた様で何となく落ち着かない。

 午前九時二十分頃ニューヨークのグランドセントラル駅へ着いた。駅は今工事中だが中央の広場や周りを飾る建物の雄大で且美しい事はこれが停車場かと疑うばかりで、中央広場の一方には切符発売の窓口があり天井は一面油絵で天女が舞う姿が描かれ周りは花が散らしてある。

又所々には照明が本当の星の様にキラキラ輝いている。

お上りさんの私は眼を見張り右往左往する人の間を必死にM君の後を追いかけて行った。

駅を出たのか出ないのか判らない内に、地下へ入り別の所へ出た。之が兼ねて聞いていた地下鉄だと判った。厭な匂いがする。

一度乗り換えて二、三の駅を過ぎた頃M君に続いて下車した。今度は階段を幾つか昇り地上へ出た。

明るい陽が照っていて電車や自動車の走っている賑やかな通りだった。約二丁(二百米)余り重い鞄を下げて歩いた。

 此処だ!森村ブラザーズの店は!急に胸がドキドキしてきた。

M君は自信有りげに、さっとドアーを押して中に入って行った。後に続いて入ると室内の両側の棚の上から天井まで日本の陶器、雑貨類が並べてある。その中を奥へ奥へと進んだ。

「ヤー来たなー」

知っている人、知らない人、誰が誰だかさっぱり判らない。

その内に半年位前に会ったW君が来て店員を夫れ夫れ紹介して呉れた。

只握手をするものゝ返す言葉もしどろもどろで顔が赤くなっていた。

  MORIMURA BROS., 546 & 548 BROADWAY NEW YORK

之が森村組ニューヨーク支店の所在地である。やっと辿り着いたのだ。

 

 

 

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